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February 17, 2006

モノに対する思い出と執着

 古いビデオテープをDVD化しようとしている話は、昨日書いた。
 その古いビデオテープは当然捨てられる運命にある。そうでなければ場所の効率化を図れず、媒体移行している意味を成さない。
 ところが奥底から発掘されたビデオテープは、その記録された内容と共に、記録媒体そのものに思い出が込められているモノがあるようだ。あるテープをイザ捨てようとして、そのことに気付かされてしまった。

 高校時代。土曜日。
 午前中の授業終了後、午後は放課後となっていた。部活の時間帯であった。
 一ヶ月に1回の割合だったろうか。我々は視聴覚教室でビデオ上映会を行っていた。部活の一環であった。皆で上映作品のポスターを描き、下駄箱や掲示板に貼り出し、視聴する生徒を集め、一緒に観賞していた。
 ある日、私個人が保有しているある作品の上映を行う事になった。私はビデオテープを学校に持ち込み、そしてその作品はいつものように上映された。
 上映の終わり際、エンディングロールが流れていた。作品の余韻が視聴覚教室内を包んでいたのだが、突然、それは断ち切られた。
 「あっ」
 …と叫んだのは5人や10人ではなかった。
 顧問の教師がビデオデッキを操作していたのだが、止めてしまったのだ。再開せんと複数人が操作室に飛び込んだ。そしてエンディングロールは再開された。今度は最後まで流れ切り、上映会は好評の内に終了したのだった。

 全然、大した事柄ではない。
 だがあの時の、皆の驚いた声(それは怒気すら含まれていた)。そして教師の「まだなの?」と、イイカゲン興味の無い事につき合わされている事に対してのヤル気の無さ。それらのギャップがありありと思い出され、今思い起こしても私には可笑しい思い出である。

 その時のテープが、今、捨てられようとしている。記録内容はHDD内にダビングされた。やがてDVDにダビングされるだろう。作品は継続して手元には残るのだ。
 しかし、このビデオテープはどうだろうか。磁気テープに記録された内容のみが思い出として残っているのではなく、このビデオテープそのものが、その時その場所にあり、それが思い出という気を放っている気がしてならない。…主旨に反し、当面、このビデオテープは捨てられない様な気がしている。

 このテープはやがて耐用年数を過ぎ(既に過ぎているのかもしれない)、やがて記録媒体として意味を成さない時が来るだろう。再生する事が出来なくなったビデオテープは果たして、思い出の品として保存される価値を保有するのであろうか。その時、それを捨てられるかどうか、という事が答えになるのだろうか、とおぼろげに思う。

 こんな事を言っているから、モノが溜まる訳ですね、全く…。

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Comments

最近というか、1970年代後半以降の考古学もこういう考え方します。単なるモノではなく、当時の人々の思い出が刷り込まれたモノとして見る。

ポストモダン。

Posted by: ごーちん | February 18, 2006 at 06:53 AM

 ウチのビデオテープも数千年の後、後世の考古学者が発掘するのだろーか。面白いから埋めておこうかな。(それを人は不法投棄と言う)

Posted by: 竜馬 | February 18, 2006 at 11:49 AM

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