« アルミラウンドノブ | Main | 早生まれは得?損? 微妙な“格差”埋める動きも »

December 04, 2006

議論するということ

 主張をすると、相手から嫌われた。
 だが、自分の主張の内容には自信があった(ある)し、譲れない内容だ。法的にも契約的にも不備はない。自分(達)に間違いがあると、相手からの合理的な指摘を待っていても、相手にはそれが出来ないし、具体的には何も言ってこない。

 ところが、である。
 それで話が済み、また話が進むかというと、そうでもない。
 人の話を無視してみたり、「納得できない」と言ってみたり。怒ってみたり。そしてそのままズルズルと時間だけが過ぎていく。相手(達)が、法的手段に訴える事までコトを荒立てることはしない、とタカをくくっているからだ。その、タカのくくり方、相手への甘え方に怒りも覚えるが、過去の付き合いを振り返り思い出し、その程度だったのかと正直凹んだりする。まして、先方はこちらの事を気に入っておらず、怒っている。馬鹿馬鹿しい。怒っているのはこちらの方である。

 しかし。
 議論する時は、自分の主張が本当に正しいのか、それを自問するべきである、とは思う。
 そして、自分の正しさを主張しすぎてもいけない、とも思っている。相手を追い込む事が目的ではなく、議論の内容を進めるべく会話しているはずだから。

 議論の終着点にあるものは何だろう。
 願わくば、互いを尊重し、益のある結果を生むものでありたい。互いにその意思が無ければそれは極めて難しい事だ。しかし諦めるにはまだ早い、と最後まで考えるようにしたい。

|

« アルミラウンドノブ | Main | 早生まれは得?損? 微妙な“格差”埋める動きも »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 議論するということ:

« アルミラウンドノブ | Main | 早生まれは得?損? 微妙な“格差”埋める動きも »