May 08, 2008
こういうのを5月病というのだろうか。出勤したくない。サザエさん症候群か。
今回の連休は、結構休んだ。中日1日のみ出勤し、あとはずーっと休み。いろいろ忙しかったけど、プライベートの忙しさは、まぁ、普段の行いの問題であったり、やはり休日ならではのイベントであったり。
休みが長かった分、そしてここ暫くの仕事の忙しさとのギャップの激しかった分、どうもこう、出勤したくない感が強い。そのくせ、溜まった仕事の処理の事を考えると眠れなくなった。1時過ぎに寝て、4時前には目が覚めた。まぁここんとこ睡眠はしっかり取っていたから、なんとなく頭はスッキリした感じではあるのだが。
連休中は九州からジジババ(親)が出てきていたので、孫(子供)とあちこちウロつく時間が多かった。
5日の子供の日に、子供が東京タワーに行きたがっていたので連れて行った。駐車場には入れず、近くの別の有料駐車場へ。タワーまで歩くと、待ち時間は1時間半、とのこと。4歳と2歳弱を連れての事だったので、断念。下から見上げたり写真を撮ったりした。
その後、増上寺に行ったりしてまったり。子供は東京タワーに登れなかった事よりも、屋台のたこ焼きを買ってもらえなかった事の方が重要事項で、ごまかすのに大変だった。そもそも東京タワーに登れる事を知らなかったのかもしれない。下から見上げていた時は結構スゲー!と目を輝かせていたのでヨシとしよう。
その二日後、7日に出勤。
最近、東京タワーのすぐ近くに通っているので、子供と歩いた所を当然のように歩いた。なにか妙に懐かしい感がこみ上げてくる。今度、空いてそうな日にまた連れてこよう。
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March 25, 2008
うみかぜ公園でカレイの投げ釣りを始めたのはいつ頃だったろうか。2000年の頃にはやっていたような気がする。毎週のように、うみかぜ公園の駐車場前で竿を出していた。常連の人たちと仲良くなったり、近くのエサ屋、エサ一番に出入りするようになった(最近はここも行ってない…)。
カレイの投げ釣りは、エサ代が馬鹿にならない。結構な量のアオイソメを使用する。横須賀で一番安い店はどこだろう?という話になった。それは噂によると、横須賀海辺釣り公園のすぐ近くにあるエサ屋だという話だった。行ってみると、電機屋の隣の敷地に、確かに釣りエサの看板が出ていた。
エサは、アイスクリームの商品ケースの中(冷凍はされていなかったけど)に入っていた。値段は、安かった気がするがもう覚えていない。
自宅に帰った後、カミさんにその話をすると、更に昔、その場所がかつてはアイスクリーム屋であったことが判明。カミさんは家族でそこにアイスクリームを買いに行った事を懐かしそうに思い出していた。そして、そのアイスクリームが売っていた商品ケースの中にイソメが入っていたことに残念感を溢れさせていた。簡単に言えば、引いていた。
今はそのエサ屋も無く、その場所にはマンションが建ち、そこを購入し、今、住んでいる。
偶然を感じる。まぁ、日常は偶然の連続なんだが。
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January 03, 2008
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
一応、正月は休めました。出勤している同僚たちよ。スイマセン。
いつのまにやらもう3日ですね。今年もギュンギュン時間が流れていきそうです。もうね、去年なんて激流。かつてない時間の流れを感じましたよ。今年はどうなることやら。
今年の抱負。家内安全。海上安全。交通安全。一攫千金。
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December 24, 2007
会社からの呼び出しがかかるんじゃないかとビクビクしながら家族でノーラッドサンタを見ているクリスマスイブ。
落ち着かないなぁ、と言いながら既に酔っ払っている訳で。
もうすぐ日本です。
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June 08, 2007
ノンシュガーのど飴を買う。
袋入りのを買い、中身だけ職場の机の引き出しに流し込む。ちと極端か。
ノンシュガーのど飴。最近、この「枇杷蜜(ピーパーミー)」が手に入りにくく、売ってない。コンビニでも、駅の売店でも売ってない。スティック型のものは駅の売店でも買えたのだが、ここ最近は並ばなくなっていた。
のど飴は、実はあまりのどに良くない、なんて言うのだが、のどがスーっとするのが好きで、ちまちま買ってはなめている。頻度が高く、従って甘くないものがいい。ノンシュガー、ノンカロリーであればあるほど良い。
先日、自宅の近所の大型スーパー、エイヴィでこのノンシュガーのど飴「枇杷蜜(ピーパーミー)」を買った。久しぶりなので二袋買い、そのまま会社に持っていった。
暫くはのど飴に苦労しないだろう。苦労?
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May 08, 2007
ここまで来たダンボールの山。
これで90%~95%くらいかなー。
疲れたなー。
腰が痛いなー。
あとはボチボチ片付けていくことになるだろうな。
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March 27, 2007
恩田陸のネバーランドを読んで思い出すことがまだあった。
それは、初めて正月を家族と共にすごさない、という思い出である。もっとも、IT業界ってのは正月に休みを取りにくい局面もあったりするので、今となっては(正月に家族で過ごさないというのは)あまり珍しくもなくなってしまったのだが。
1994年のこと。私はまだ会社の寮に暮らしていた。
その年末。仕事納めも過ぎると会社の寮も寂しくなる。皆、帰省したりしていた。
私は晴海見本市会場のイベントを終え、友人宅で飲み会を行う事になっていた。その日はそのまま友人宅に泊まり、翌日に帰省する予定だった。九州までの切符は、まだ買っていなかった。
友人宅へ行く途中、新宿に立ち寄っていた。友人Kは、12月のアタマに発売されたばかりのプレイステーション(39800円)を買うと言う。発売当初のプレステは入手が難しく、複数の量販店をウロついていた。そして、ある店に在庫を発見したのだった。
友人Kはホクホク顔で購入。そのとき、頭上から物欲大魔王が私に声をかけた。
大魔王「お前も買ったら?」
竜馬 「欲しいけど、お金が無いよ」
大魔王「お金は持ってるじゃないか。財布の中に4万円入ってるだろう」
竜馬 「これは九州へ帰省する新幹線代だよ」
友人K「買っちゃえよ。正月はウチで一緒に遊ぼうぜ」
大魔王「それはいい考えだ。楽しいぞ」
竜馬 「…そ、そうかな?」
気がつくと私の手にもプレステがぶら下がっていた。友人K(男)はルームメイトM(男だ)と二人暮らしで、二人とも帰省しないとのこと。当時そこは皆にKM亭と呼ばれていた。近所に住む別の友人B(男)も遊びに来ると言う。男四人で年末を過ごそうぜ、ということになったのだった。数分後、「帰省しないから」と九州の実家に電話を入れた。
その夜は日本酒を持ち込み飲んだくれた。肴はツナ缶に醤油をたらしたものや、焼き鳥缶などであった。あとはただひたすら、プレステでリッジレーサーのタイムを競い、徹夜で遊んでいたような気がする。
翌日は押し迫った31日。夕方、近所の銭湯に行った。KM亭にもフロはあったのだが物置と化していたのだった(ちなみに私にとって銭湯は小学生の頃以来のことで、以後は一度も行っていない)。
そのまま晩飯の買い出しに出かけたが、時既に遅く周囲の店は既に閉まっており、地理にも暗くついに買い出しを諦めざるを得なかった。在庫の野菜で鍋を作ろう、とBははりきって野菜をザクザク切り、鍋を作った。男四人に囲まれた鍋には野菜のみがグツグツ煮えており、とてもベジタブルな鍋であった。泣きたかった。
鍋をつつきながら年が明けた。明け方、Bは初日の出を見ると一人出かけていった。残った三人は酒に酔いながらぐったりと寝ていた。Bが帰ってきた頃、三人は復活していた。猿のようにリッジレーサーを代わる代わるやっていたような気がする。
その後どうしたのかあまり覚えていない。1日か、2日には寮に帰ってしまったような気がする。寮の友人も早めに寮にもどっており、これまたリッジレーサーのタイムアタックに共に燃えたんじゃなかったっけか。
…それがはじめて親と過ごさない年末年始であった。
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March 26, 2007
恩田陸のネバーランドを読んで、思い出すことがあった。
4人の主人公のうち、小柄で元気な統という人物がいる。
統は、おちゃらけたムードメーカーだが、芯があり、将来を既に見据えている。
雪が降れば子犬のように走り出て雪合戦をし、友達がこぐチャリンコの荷台に立ち上がって乗り、笑いながらバンザイをするような男である。
彼を見ていると、高校時代の友達を思い出す。その友達は山崎というヤツだった。クラス替えの無い高校二、三年の男子クラス、二年弱を共に過ごした。
彼はクラスのムードメーカーだった。例えば体育の授業でバスケットの時、ゴールを入れるとサイドライン外に座る20人ほどのクラスメイトが差し出す手を「いえーい」と言いながらばしばしと叩いて行くようなヤツだった(その間に攻め込まれている)。
おちゃらけて笑いの中心にいた山崎。彼は高校三年の時、卒業を待たず、事故で亡くなった。葬式は平日にあったため行かなかった。特に仲の良かった数名が授業を抜け出していた。校長や学年主任が出席する葬式に、彼らも出たそうだ。それを知り、なぜ自分は行かなかったのかと、そのときは思った。が、まぁその程度の付き合いでしかなかったのかもしれない。でも、忘れることはない。
今、彼のちょうど2倍の年齢に達した。一人、オジサンに進んでいく気分である。いや、同級生皆がそうなのだが…。
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February 06, 2007
Mac信者、という言葉を最近はあまり使わなくなった。
それでもMac信者が消えたわけでもないだろう。夜な夜な地下から這い出してきては白装束を着込んでキャンプファイアーでもやっているのかもしれない。何重にも間違いが記載されているかもしれないが気にしないように。
アメリカ鼠も、やはり宗教の様な気がする。目をキラキラ輝かせて過度にのめり込む姿は、信者と思わせる何かがある。
さて、釣りはどうだろう。信者という言い方はあまり聞かない。釣りバカ、とは言うけれど。「釣り信者」と書くと何やら怪しげではある。釣り人が自分を「信者」という言葉からあえて遠ざけようとするため、自ら「バカ」という一定の地位に導かせるために使った言葉なのかもしれない。そんな訳ないか(^_^;)。
しかし、家庭を顧みず(私はみているぞ。多分)、魚を捕らえるには非効率な手段で魚を追い求める姿は、傍目には信者以外の何者でもないかもしれない。
仕事に取り付かれたサラリーマンも、信者の様なものかもしれない。いずれにしても教祖は儲かるものよのう…。
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December 22, 2006
きつねうどん・日清どん兵衛を食べていた。
中に入っている揚げがジューシーで大好きだ。
はむはむはむ。美味しいな。はむはむはむ…はむ?
口の中に違和感。細長い、1cmほどのビニール片が出てきた。やや、繊維質っぽい感じ。
このカップうどんでは、外側のパッケージにのみ、ビニールが使われている。どう考えても私のミスではない。
まぁ、どうこう言うつもりはないが、どういう工程でビニール片が入る余地があるのだろうか、と素朴な疑問がわいた。
日清にクレームを入れるつもりはない(面倒だから)。ここには書いておくけど(^_^;)。
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December 21, 2006
夜遅くの下り線。ベンチシートに座っている私の目の前に、男が乗車してきた。
彼は雨でもない日なのに、腕に傘を引っ掛け、本を読んでいた。片手はつり革をつかんでいる。傘は腕の内側にかけているので、先っぽが大きく外側にぶらぶらゆれていた。
電車がゆれる。傘がゆれる。ゆれた傘の先は、私の膝先をかすめるようにゆれている。私は、傘の先で触れられるのを好まない。
気になって仕方がなかったが、本人は意に返さない。触れたりぶつかったりしていないので、文句を言うわけにもいかない。が、気になって気になって仕方がなかった。それが30分ほど続いた。
彼は私が降りる駅のひとつ前の駅で降りていった。漸く落ち着いたが、1分後には私も降車。落ち着かない帰宅だった。何がどうこうという話でもないのですが(^_^;)。
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December 04, 2006
主張をすると、相手から嫌われた。
だが、自分の主張の内容には自信があった(ある)し、譲れない内容だ。法的にも契約的にも不備はない。自分(達)に間違いがあると、相手からの合理的な指摘を待っていても、相手にはそれが出来ないし、具体的には何も言ってこない。
ところが、である。
それで話が済み、また話が進むかというと、そうでもない。
人の話を無視してみたり、「納得できない」と言ってみたり。怒ってみたり。そしてそのままズルズルと時間だけが過ぎていく。相手(達)が、法的手段に訴える事までコトを荒立てることはしない、とタカをくくっているからだ。その、タカのくくり方、相手への甘え方に怒りも覚えるが、過去の付き合いを振り返り思い出し、その程度だったのかと正直凹んだりする。まして、先方はこちらの事を気に入っておらず、怒っている。馬鹿馬鹿しい。怒っているのはこちらの方である。
しかし。
議論する時は、自分の主張が本当に正しいのか、それを自問するべきである、とは思う。
そして、自分の正しさを主張しすぎてもいけない、とも思っている。相手を追い込む事が目的ではなく、議論の内容を進めるべく会話しているはずだから。
議論の終着点にあるものは何だろう。
願わくば、互いを尊重し、益のある結果を生むものでありたい。互いにその意思が無ければそれは極めて難しい事だ。しかし諦めるにはまだ早い、と最後まで考えるようにしたい。
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October 29, 2006
今年も乗艦抽選に外れてしまった。
小雨の中、うみかぜ公園から竿を出しながら護衛艦を見てました。パッパカ派手にラッパが聞こえてくるかと思ったら観艦式じゃないですか。抽選に漏れたことをそれまですっかり忘れていました。
そんな中、携帯にシステムトラブルの連絡が…。
そんな日曜の朝。8時に撤収して帰宅したのであった。釣果は聞くなかれ。
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October 07, 2006
米澤さんのお通夜に行ってきました。
早めに着いたのでまだ人は少なかったのですが、出る頃には大行列。豪雨の中とは言え、やはり。
花に囲まれた米澤さんの遺影。その花の数もまた多く。如何に多くの方と、かかわりを持ち、尊敬されてきたことか。
今日は仕事だったので本葬には行きませんでしたが、晴天の中、見送られた事でしょう。このどこまでも青く、天高い空。さすがだなぁ、と思うのは私だけだったろうか。
ウチはコミケッコンでして。
この人がいなかったら、遼太郎も、隼之介も生まれてなかったかもしれない。
そんな事を考えてしまうのでした。
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September 30, 2006
GOハカセ夫妻から隼之介の出産祝いを頂いた。はるばるアメリカはイリノイ州からお届けものはやってきた。
ところがこのお祝いの品々、住所不定で一度戻ってしまったんだそうで、新しい住所を連絡の後、再度送っていただいたものであった。
そこに込められた想いが嬉しくありがたいのは言うべきにも無いが、遙かなる太平洋をなんと一往復半もかけて届いた品々である。なんと言うべきか。モノゴトの道理としてそういうこともあるだろうが、なんとなく不思議そうにまじまじと見てしまうのであった。一往復半ですよ?なんとまぁそんな、大変な。勝海舟もビックリですよ。
ちなみに、送られて来た品々の中に、Made in Chinaと書かれた品物が入っていたのです。ひょっとして二往復、と言うべきかも…。
***追記
「住所不定」じゃなくて「宛先不明」だよなぁ。似たような表現だと思わないか?思わない、あ、そう。
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September 14, 2006
雨は降る降るカバンは塗れる。越すに越されぬ7丁目。
わけわかりませんね(^_^;)。
雨降る夜の銀座を歩いていたのです。
そこへ、とある飲みビルの一階からドドドッと3~4人の黒服を着た男達が歩道を歩く我々の前に飛び出してきたのです。
男達は傘を差し、並び、歩道を歩く人々の前に立ち塞がって通行を遮断するのです。
タイミングがピッタリ重なり、その腕をかいくぐった形になった私の目の前には、ハデなドレスを着た美人のねーちゃんと、彼女にぶら下がっているオヤジ(初老)がいい気分で歩いて来るのでした。
右を見れば黒服と目が合い、睨まれます。左を見れば車道に見たこともない黒塗りの車がドアを開けているのでした。黒服たちはオヤジが濡れない様に傘を差しかけ、通行人を遮断しているのでした。
直感。ああ、この社長(?)、競走馬の2,3頭はもってそうだな。うん、そうにちがいない。
社長の腕が美人のうなじにからまっていました。わずかに見えるうなじの、その色っぽいこと。さぞ高いお店なのでしょうネ、社長!
社長は黒塗りの車に乗り込み、去っていきました。夜の銀座はなんだか映画やドラマみたいです。
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March 23, 2006
昨日、帰宅途中の品川駅の事。
京急のホームで始発の快速特急を待っていたら、泉岳寺方面からその始発電車がやってきた。
当然、誰も乗ってないのが普通なのだが、この日はなぜか男性が一人、乗っていた。
どうみても普通の人にしか見えなかった。電車のドアが開くと、どどーっと人が流れ込み、われ先にと座り込む。もう、男性が誰だったかは確認できない。
始発電車に先に乗っているなんて、ずるいぞ!
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March 20, 2006
オウム真理教、地下鉄サリン事件から11年が経った。
事件の発生した日は11年前の3月20日。カレンダーは今年と同じ月曜日だった。
その日、私は飛び石連休を4連休とし、20日は休みをとっていた。休みと言っても何をするでもなく、寮で寝ていたのだった(をい)。9時頃だったか、目を覚まし、テレビを見ると築地の中継が入っていた。ヘリコプターによる上空からの中継であった。
消防車とレスキュー隊員が画面を埋め尽くし、大騒ぎの中継であった。どのチャンネルを見ても似たような中継であった。
何か大きな事故があったのかな。ガス漏れでもあったか。スゴそうだな。
そんな程度にしか頭が働かない。暫く画面を見入っていた。そのうち、地下鉄日比谷線での事故だと言うアナウンサーの声が耳に入ってきた。つい数ヶ月前まで日比谷線神谷町までの定期を持っていたのだった。
ハッと気づき、とりあえず実家に電話。母は心配していたらしく、無事を喜んだ。田舎に居ると東京も狭いものだ。従兄妹も茅場町に勤めていたが、これも無事であった。
と同時に、ちょっと心配になり始めた。寮の隣人Yは普通に出勤していた。彼の降りる駅はまさに日比谷線神谷町であった。しかし連絡先の電話番号は知らなかった。
昼ごろ、会社の課長から電話がかかってきた。
「バカヤローッ!なぜ電話してこない!」
あっ。
当時私は某飛行機会社に現場SEとして常駐していた。その常駐先には休みの旨、先輩の許可をもらい、ホワイトボードにも書き入れていたのだが、自社の自分の事務所には何の連絡もしていなかったのだ。心配になった課長が電話をかけてきたのだった。
夜になり、隣人Yが帰ってきた。その頃には事故ではなく、事件であった旨が報道されていた。
「おお、無事だったか」
「無事だったけどさ~」
かなり危なかった。Yの乗った電車は、中目黒から神谷町へ向かったサリンが散布された電車の1、2本後だったようだ。何度も止まるのでヘンだなぁ、と思っていたらしい。神谷町までたどり着き、階段をあがると人がマグロのように何人もゴロゴロしていたそうだ。助けを待つ人々だったらしい。あたりは騒然としており、Yはすぐに地上に上がったとの事だった。
テレビの報道は果てしなく続いていた。幾人か死亡者が出ている、と報じられ、神谷町の映像が幾度も出ていた。改めてYの無事を幾人かで(申し訳なくも)喜び、皆でテレビを深夜まで見たのだった。
それから、11年が経った。
犯人達は、未だに生きている…。
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December 31, 2005
去年の年末は大変な一日だった。思い出話。
1年前の12月31日は父方の祖母の葬式であった。
12月29日昼頃、ビッグサイトで売り子をやっていた私の携帯に親父から電話が入った。
「ばーちゃん(父の母)ヤバそう」
どうしようか悩む。その年の春にも同じ連絡が入っていたのだが、その際には持ち越していた。また、もともと(2005年の)1月1日に仕事が入っていたので帰省しない予定だった。
滅多に使わないiモードで飛行機の空席紹介。どこも空いている訳が無い!
13時半頃、もう一度携帯に連絡が入る。
「いつまでもつかわからないが、とりあえず今すぐ帰って来い。年明けまでもつかもしれないが、それはそれでいい(仕事に帰るのはやむを得ない)から」
サークル仲間に事情を説明し、会場に持ち込んでいた荷物や帰りがけのダンドリを決める。私が会場までの運転手だったのだがそこは運転に慣れぬ友人に頼み込んだ。
14時すぎ、ゆりかもめで新橋まで移動。みずほ銀行のディスペンサーでごっそりお金をおろし、切符購入後東京駅へ。東京駅は長蛇の列。最後尾がぐるーっと回って最前列の目の前まで来ていたりしてよくわからない。最後尾カードって便利だとつくづく思う。
新幹線に乗れるまでにかなり時間がかかることを覚悟。親父にその旨を連絡したところ、「たった今亡くなった」とポロリ。病院から自宅に移動するから、親父の実家まで来いとのこと。私の実家は北九州だが、祖母の家(親父の実家)は佐賀。博多経由佐賀へ直行、ということになった。
電車2本をやり過ごし、漸く16時頃ののぞみに乗り込む。博多着は21時すぎ。隣り合った席の人にお願いし、手に持っていた時刻表を借りた。博多の乗り継ぎを調べる。その方も葬式関係で移動中とのこと。この時期の予定にない移動は大変だ、なんて話をする。
博多駅乗換えダッシュ。時間的には余裕があるが、また自由席(特急)なので走った。前から7,8番目だったが、思ったとおり発射時刻には背中にまたまた長蛇の列。佐賀駅で従兄弟に迎えに来てもらい、祖母の家に向かう。空は満天の星。田舎だよなぁ…。
葬式は大晦日の31日と決まった。その日は未明から雪が降り積もり、冷気が古い家にしみこんで来ていた。古いストーブが焚かれていたが外の様に寒い。皆寝付けないのか、夜も明けていない時間であったがひそひそ話やトイレに歩く音などがずっと続いていた。私は祖母の棺桶の隣で寝るとも無く、起きるとも無くボーッとしていた。
空が白んだ頃、天井の蛍光灯あたりからツーっと小さな蜘蛛が降りて来た。すぐに隣で寝ている母を起こす。母は蜘蛛を見て、隣室で起きていた父を呼んだ。
3人が見ている前で蜘蛛は畳に着地。蜘蛛はスルスルスルっと祖母の棺桶へ向かい、その影に消えた。祖父は私が4歳の頃に亡くなっていたが、皆祖父の事を思い出していた。
佐賀平野は一面真っ白に染まっていた。山の上にある火葬場に行く事ができるか、いや、翌日の仕事に果たして戻れるのか、と色々心配になる。大晦日という日に、それでも多くの人々が訪れてくれる。葬式は淡々と進み、全てを滞りなく終えることが出来た。
さて、私はこの日中に横須賀へ戻らなければならない。北部九州の高速道路はすべて閉鎖となり、予定していた高速バスは動かないとのこと。困った。JRは辛うじて動いているとの事なので予定変更し、電車での移動に切り替えた。発時間10分前に佐賀駅到着。しかし雪のため遅れが出ていた。しかも刻々と放送される情報によると、遅延時間はどんどん伸び、やきもきした。それでもなんとか福岡空港に到着。またまた滅多に使わないiモードでチケットレス予約なるものを試みていたが、ちゃんとチケットを入手できた。
聞けば、国内線は飛んでいるものの全体的に40分ほど遅れていると言う。ホッとすると共に閃いた。
「ひとつ前の便に乗れますか?」
「走れば間に合います」
いやもう、走った走った。
飛行機の中はガラガラに空いていた。そして大揺れ。着陸の時にあんなに上下したのは初めて。外房で沖へ出たように大揺れ。飛行機の中で紅白歌合戦を見たのも初めて。
そして21時頃に、3日ぶりの帰宅。有明に行っただけだったはずなのに、ずいぶんと遠回りの移動となった去年の年末でした。
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December 10, 2005
酒を飲んで、酔っ払って帰路についた。
品川駅から京急に乗り込む。始発駅になるため、並べばだいたい座れる。
進行方向右側に座ると、並走するJRの窓明かりが見える。
並走区間は品川~横浜間。品川を出るとJRとは一度大きく離れるが、再び多摩川で出会う。周囲の景色が暗闇に溶け、窓列の明かりだけが見えている。ズラリと並んだ車両の窓の明かりが銀河鉄道999を髣髴とさせる。いや、銀河鉄道の夜と言うべきか。
このまま飛んでいきそうだ。
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November 23, 2005
またひとつ、歳をとってしまいました。かつては嬉しかった誕生日も、今や来て欲しくない日となってしまいました。やれやれ。
で、今日が誕生日の人ってこんな人がいます。
士郎正宗
田中邦衛
ヨハネス・ファン・デル・ワールス
幕之内一歩
ダスティ・アッテンボロー
しろまさと同じ誕生日ってのは自慢です。
田中邦衛はまぁ…北の国からファンって事でよしとしよう。
ヨハネス・ファン・デル・ワールスって人知ってます?これは「ファンデルワールス力」という「分子間力」を発見した人です。ほら、一部の人は思い出しませんか?「分子間力~ッ!!」と叫びながらあたり構わず他人の頭にシャンプーをかける人々のことを!そう!あのとんち君とポンチ博士を思い出しませんか!?(そんなん思い出す人の方がおかしい>竜)縁があったんだなぁ…(何の)。
ファンデルワールス力は「モーレツ!科学教室」のネタで扱われていました。あの番組(ビデオで見た)は私にとっては科学のバイブルです。どうでもいいですかそうですか。
一歩は置くとして、アッテンボローと同じ誕生日ってのは意外でした。これまたどうでもいい話ですがネ。
あ、一応書いときますけど、暗証番号関係には全く使ってませんので念のため。
誕生日おめでとう俺!とにかく人生の何分の一かはがんばって生きてきた。分母はそんなに大きくない数字だと思われるが、まぁみんなそんなもんだ!
また来年の今日、歳を取る事を目指そう!この一年、またがんばろう!何かいいこと、必ずあるさ!(第二子誕生とか)
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June 28, 2005
義父が亡くなった時、傍では1歳6ヶ月になる遼太郎が元気に走り回っていた。人生の始まりと終わりが目の前にあった。道半ばの自分を振り返り、そして先を想像した。まだまだ先は長いのである。
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June 26, 2005
義父が亡くなった。遺影は義母と義父が並んでいる写真の、義父の切抜き部分であった。義母は5年前に既に亡くなっているが、義母の写真もまた、同じく義父の遺影に使用された同じ写真の、義母の部分の切抜きであった。何気に撮られた1枚のスナップが、二人分の人生の遺影として使用されたのだ。
そんな写真もあるんだな、と思った。
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April 27, 2005
山手線の中で、あぐらをかいているオヤジを見た。しかも通勤時間帯である。
足を伸ばすヤツはいる。足を組むヤツもよくいるだろう。しかし、あぐらははじめて見たなぁ。さすがに靴は脱いでおり、足元にきちんと揃えられていたが、それはそれで異様であった。当然、隣に人は座っていない。というか座れないのだが。
うーん、どういう精神構造をしているんだろう?何れにしても珍しいものを見てしまった…。
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March 17, 2005
飲み仲間の一人が転職した。そして1年間インドに研修に行くと言う。先日、その送別会があった。
なんとインドである。IT業界で"インド"はだんだん珍しくなくなってきたとは言え、身近にはほとんどいなかった。聞けば会社の公用語は英語で、彼女自身は英語の日常会話に問題は無いとの事。大したものだと思うのだが、考えてみれば自分の周りには英語ペラペーラな人が意外と多い事に気づく。珍しい事ではないのだ。
飲み屋は新橋の串焼き・しばてんだった。店内には坂本龍馬のポスターが貼られ、メニューには「鯖の土佐作り」など珍しい料理があった。焼酎「竜馬」が飲み物メニューの筆頭に来ており、高知系と言うか、土佐系というか、そういった系統のお店らしい。焼酎は飲みつけないのだが「竜馬」を頼み、飲みながら久々に串焼き、焼き鳥などに舌鼓を打った。
話題はインドネタ。「全ての料理はカレー味だぞ」「手でサラサラカレーをすくって食うんだぞ」「額にポッチリ化粧をするんだぞ」「マハラジャの10番目の嫁さんにでもなったら俺を門番に雇ってくれ」などイイカゲンな話題がとりまく。飛行機で1日もかからず移動できる場所とは言え、遥か遠い国だ。健康管理などの話題は誰と話しても出ると言う。
〆の炭水化物系を注文せず(笑)飲み会は終了となった。1年以上会わない友人、知人などは数多くいるが、送別、と言うとなんとなく物寂しいものだ。帰国の際にはまた飲みましょう…ということで解散となった。来年の今頃、彼女はどう成長しているだろうか。負けてはいられませんなぁ!
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February 28, 2005
いつのまにか左腕の内側に、どこかでぶつけたようなアザが残っている。痛くもかゆくも無いが、全く記憶に無く、不気味である。カミさんは「夢遊病でしょ」とかイイカゲンなことを言う。更に「そのうち足に葉っぱとかくっついてきたりしたら本格派よ」とか言うのだ。何が本格派なのかよくわからない。
だいたい夢を見ながら歩けるほど、我が家の足元は空間が空いてない。何か踏み壊して、足を怪我する事の方が先だろう。私といい、カミさんといい、散らかし放題夫婦なのである。それに加え、散らかす事を仕事にしているような遼太郎まで加わった昨今、目を瞑って歩くなんて芸当は不可能なのだっ!
…要するに片付けようってことだな(^_^;)。
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February 23, 2005
今日は中島みゆきのお誕生日ですね。5x歳と思えぬ美貌ですな!(ファンなもので)
それこそ子供の頃からみゆきさんの歌を聴いているわけで、声を聞くと今でも若かりしみゆきさんのイメージが頭に浮かびます。それでもいつのまにやらそんなトシになってしまいましたねぇ。みゆきさんがオールナイトニッポンをやってた頃の年齢に、自分がなってる事を考えると(考えなくても)アタリマエっちゃーアタリマエなんだけど。
この記事なんか怒られそうだな(^_^;)。
いつまでも美貌と美声をわれわれファンに届けて欲しいものです。
関係ないけど、ウチの母親も誕生日なんだな。誕生日おめでとう>母上。
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February 12, 2005
源泉徴収票が配られた。
…
じっと手を … いやもとい。
あきらめたら、そこで試合終了だよ。
安西先生…!
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January 31, 2005
「最近読んだ本」とするマイリストを並べてみる。みんなやってるので、まぁモノマネです。Blog自体そうだけど。
この「最近読んだ本」ってのはアレだね、その人の趣味マルダシになってしまう可能性がありますね。隠そうと思えば隠せるんだけど、ページに釣りだの映画だのと、ある一定のジャンルを持たせないと、色々なモノが出てくる中である一定方向へ偏りが出てくるかもしれない。まぁ言ってみれば「自分」っていうジャンルのページなので仕方が無い。かっこいい方向へもって行き、閲覧者をダマすようなテクニックも持ってないしなぁ。
そういった意味で少し気恥ずかしい気もしなくは無いが、そんなこと言ってたらBlog自体どうよって気もする。とにかく前へ進んでみようと思う(そんなオオゲサなものかい)。
私の場合、「最近読んだ本」リストは世間の最新情報と結構ずれて行くかもしれない。買ってはいいけど、そのまま読み待ち行列に入っている本が20冊近くある。マンガも4,5冊はある。意外と読む暇が無く、通勤電車の中で読む程度。買ってから読み終わるまでの時間が結構長くなっていくのである。家ではあまり本を読む時間が無くなった。独身の頃、週末には引きこもって一日中本(マンガが主)ばかり読んでた時のことを考えたら、そんな事態は予想だにしなかったなぁ。
なんにせよとにかく並べ立ててみよう。特別面白い本があって、「これ読めって!」みたいな本が出てくるとコメントします。そんな本にめぐり合うことを自分自身が期待しているのですが。
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January 26, 2005
と言っても漫画の話ではなく。
文字通りはじめてblogなるものを書いてみます。
「書いてみる」と書けば自分に対しての日記だし、「みます」だと相手を意識しているし、なんて考えたり。
Web公開されているわけで、意識しないわけにはいかないよなぁ。というか、そのつもりではじめる人が大多数なんだろうな。
パソ通のniftyのフォーラムに初めて書き込むより緊張しています。(緊張は)長くは続かないだろうけど。
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